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或る家の話
【はじめに】
別府の街中で繰り広げられるアートイベント「ベップ・アート・マンス2017」に作家として出展することになった。発案者の津田氏をプロデューサーとして、書家の小島雅子を加え、3人での協同出展となる。
タイトルは、「或る家の話」。
これまで建築家として、多くの「家」の誕生に関わらせていただいた。「家」という言葉は物理的存在である住宅を指すと同時に、血縁の繋がりとしての家筋や家系も指す。もちろん建築家として直接的に関われるのは前者であり、後者についてはそれが良きものであるのを祈りつつ、直接関与することはできない。
今回、写真という表現手段を通じて、血縁の繋がりとしての「家」について思考を巡らして作品を生み出し、それらを建築家としてデザインした「家」に関連させることを試みようと思う。
そしてこの出展は、活動領域や表現手段をもうひとつ広げ、写真家としての最初の一歩となる(かも)。
【「或る家」との出会い】
先日、別府で小さな住宅をデザインさせていただき、完成した。その家の住人が、今回のアートワークの発起人でプロデューサーの津田氏である。津田ご夫妻と幼い一人息子さんの3人が暮らすこの家は、これから様々な歴史が刻まれていくだろう。
写真:津田邸(イノウエサトル+トルム建築計画事務所 戸髙仁人)
そんな折、津田氏からお祖母さんの家のことで相談をうけた。
93歳になるお祖母さんがつい最近まで一人で暮らしていた古家がある。津田氏のお母さんがこの家で幼少期から成人するまでを過ごし、津田氏自身も小さい頃から足繁く訪れたという。彼にとって大切なルーツの一つとしての家。
お祖母さんは骨折を機に老人福祉施設で暮らしているという。家主不在で空き家状態が続くこの家をどうしたらよいだろうか、という相談であった。
津田氏に案内され訪れると、お祖母さんがつい先日まで営んでいた暮らしの痕跡が、ほとんど手をつけられぬまま残されていた。ごくごく普通の家ではあるが、几帳面なお祖母さんのお人柄が表れたように、整理整頓された清々しい暮らしぶりがよくわかる。
本当に必要なものだけを吟味して大切に扱ってきたのであろう。その一方で、小さなガラスの容器や、立派なケースに入れられた人形、絵画など、暮らしを彩るモノも華美にならない程度に置かれている。空間とモノ達との幸せな関係が築かれていた。そして、家主の帰りを待っているかのような空気感があり、「空き家」という表現は相応しくない気がした。
お祖母さんは、ご高齢ということもあり、この家に戻ってきて一人暮らしを再開するのは難しいだろうと親族は考えている。だけど、ご存命である限りは、この家を壊したり売ったりすることもはばかられる・・・。
写真:津田さんのお祖母さん
こうした難しい条件下で、親族からこの家の管理と活用を任された津田氏は、今流行のリノベーションでガラリと生まれ変わらせるようなことにも興味を抱きつつ、この空間への愛着や懐古の念もより強まっているようで、とても迷われていた。
相談を受けた僕も同じく悩ましかった。ここにある暮らしの痕跡を一切拭い去って、ただの「住宅」にした時に、わずかなファイナンス的メリット以外、果たしてどれほどの価値を生み出すことができるのか・・・。二人で出した、結論とは言えない結論は、「どうにかしてこのままの状態で活かせないか。」というものだった。そして後日、津田氏から、この家を題材にベップ・アート・マンスに出展できないだろうかと持ちかけられた。
60年にわたり暮らしが営まれてきた家。その家主が存命のまま不在であり、その行末が決定されたわけでもない宙ぶらりんの状態。だけど確実にその使命を終えようとしている。「家」におけるこの状態は、新築時に比べて注目されることは少ない。誰もが目を背けたいテーマなのだろう。だがしかし、確実に巷に溢れている。この状況を題材として顕在化し世に提示すること。それは、少し寂しいテーマではあるものの、アートという手法を用いれば、決して悲観的にならずに済むという気がして、津田氏からのオファーを快諾した。
作品をつくるというよりも、アートという手法を用いて問題提起ができたら良いのではないか。それで、「或る家の話」というタイトルになった。
かくして、僕は津田家の「家の始まり」と「家の終わり」の両方にほぼ同時に関わることになった。始まりに関して言えば建築家とクライアントという関係。終わりは、作家とプロデューサーという関係。この両者は切り離すべきではない。手法は違えど、必ず一人の表現者として接点を持ち得るはずである。
【繋がりとしての「家」】
さて、しかし、この空き家(になる一歩手前)という題材をどういった表現方法でアートとして世に提示できるのだろうか。何度もこの家に足を運び、撮影し、観察し、思考を巡らせた。中途半端なインスタレーションでは、この空間をぶち壊してしまうだけのように思われた。
ある時ふと、家の中の一つの光景が目にとまった。
それは、大きな仏壇の上に飾られたご先祖たちの遺影。これは決して珍しいことではない。ちょっと古い家にいけば、鴨居の上にズラリと並べられたその家のご先祖達の写真をよく目にする。
今まで、ただの古い慣習と決めつけ、特に気にも止めなかったのだが、考えてみたらとてもステキなことではないか。血の繋がりを可視化してインテリアに取り込んでいるのだ。(ちょっと不気味な場合が多いけど、、、)
【写真の力】
この古い風習を再解釈し、現代に蘇らせてみてはどうだろう。
ただ、ご先祖様の肖像画では能が無い。この家を被写体として写真を撮り、作品化する。それらの作品を、アートマンス期間中はこの家で展示して、終了後は新しい津田邸に飾ってもらう。この一連の流れが、今回の課題に対する僕なりの解答だ。
津田さんの原風景の一部であり、強い愛着をもっているこの家は、主が不在のまま役目を終えて失われつつある。
失われる前に写真として作品化することで、その存在や歴史は次の世代の「家」に継承される。継承ができるのは、写真が持っている一つの力だ。
僕が創った物理的な存在としての「家」に、繋がりとしての「家」をより強めて脈動させるための添景として、この写真作品を飾ってもらうことなる。「家(住宅)」にも「家(筋)」にも関われるという喜ばしい事態になった。
【3つの作品】
会場では、3つの作品を展示する。全て異なる手法と表現を試みるが、いずれもこの家で、この家を被写体として撮影したものである。新しい津田家のインテリアに違和感なく溶け込みながら、先祖との繋がりを感じられるようなものにしたい。
写真:津田邸
会期中の展示を経て、津田邸に運ばれ飾られた時に、このアートワークは完結する。
また同時に、新築時に撮る竣工写真と同じ方法で撮影した沢山の写真は、作品というよりも記録として、Web上で公開したいと思う。津田家のご親族はもちろん、歴史上の一コマとして誰でも懐かしんで観ることが可能である。
【最後に】
津田氏は、アートやデザイン畑の人ではない。普段は作業療法士として活動されている。しかし、アートとは無縁のように思われる祖母の家の状況に着目し、それをアートの題材として扱いたいという感性は、もうすでに立派なアートディレクターもしくはプロデューサーなのだと思う。
アートという言葉を使うのが大袈裟だとしても、津田氏は少なくともデザインの力の信奉者だ。作業療法士として障害者の社会活動をサポートする上で、常にデザインを介在させることを意識している。こうした方がもっと増えると、世の中はもう少し楽しく、美しくなるのではないだろうか。
そして何よりも、津田氏は愛情に溢れている。今回のアートワークは、津田氏の、家族とその繋がりへの「愛情」が生み出したものだ。だから、僕も書家の小島氏もずっと、幸せな気持ちで関われたのだと思う。
愛をカタチとして具現化する。建築にせよ写真にせよ、そんな創作活動をこれからも続けていきたい。
写真:津田さんご家族
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